NCTのあれこれ

人生設計めちゃくちゃです。NCTについてつらつらと。

ドリームショー

ドリームペンには夢のようなイベントだった。自分は行けなかったけど。マークのドリーム卒業にあたって、マークを送り出してくれる温かい雰囲気がメンバーにもあり、オーラスにはメンバーも客も涙する場面もあった。今まで推しがステージで涙を流すというものに出くわした事は指折り程度だが、何度かある。それはすべて自分がそのステージを生で見ており、現地に参加していたステージだった。人伝に聞いた、動画で見た等の現地で見ていない状態で推しが涙を流したという状況は初めてだった。だからなのか、涙を流す推しに少し動揺してしまい、それを自分の中でうまく解消できずにいた。会場にいたらとても感情的になっていたであろう。きっと一緒に涙を流した。だが、現地にいないとこんなにもその現地の空気や雰囲気が自分の中にストンと入ってこないものなのだと初めて知った。なんとなくマークの泣いている姿を見たくなかったのだと思う。見たくないというのは、これはうまく説明出来ないのだけど泣いて欲しくない等というマイナスな意味ではない事だけはここに記しておく。何故こんなにもうまく消化出来なかったのか…。ステージを降りた後の推しの事は私には分からないけれど、いつもオタクの前に立つマークはニコニコしていて、いつもステージを楽しんでいて、忙しくてもそれを感じさせないイメージがあったからマークと涙というのがうまく結びつかなかったのだと思う。それくらい衝撃が大きかった。個人的に。どうにも出来ないし、どうもしなくていいのだけど、どうしたら良いのか分からなかった。やはり推しには笑顔が似合うし、いつでも笑っていてほしいなと。(これはどんな時でも笑っていろという強制的な意味でない)ただ常に幸せでいて欲しい。少しでも悲しい気持ちを味わって欲しくないという気持ちから、あの場面を見てとてつもなく悲しい気持ちになってしまった。というのが1番しっくりくる理由なのかなと思う。なので、TLに次々と上がってくるその動画や写真を見るのが辛かった。しばらく推しをどんな風に見て良いのかも分からなかった。ただ、マークの涙にマークは前向きな意味だと捉えてほしい。そう言っていたというレポを読んだ。自分はマークがドリームを卒業するということに関して前向きに捉えているし、ドリームとしてのマークが見られなくなる事に寂しさがないと言ったら嘘にはなるが、メソメソはしていない。それは卒業が囁かれていた時から正式に発表された今でも変わっていない。それなのに、結局自分は推しの涙を勝手に悲しいものだと決めつけ、これまた勝手に悲しくなっていた事に気付いた時、そんな自分の感情にも納得出来ず、一人で更に混乱と…(笑)この歳にして全力でオタクをしているので、見ての通り何かと拗らせているのだ。拗らせが招いた拗らせな感情で気持ちの収拾が出来なかったので、今日ここでこうして吐き出して気持ちの整理をする事にする。

 

今はだいぶ解消出来つつあるが、自らあの映像や画像を見ようとは思わない。きっとこれから先もそれを見る事はないだろうなと思う。推しは何も悪くない。ただ自分が色々と拗らせているだけの話なので。単純に見たくないんだろうな、推しの泣いている姿を。勝手に悲しくなってしまうから。

 

NCTの複雑な組織が故に発生したマークのドリーム卒業。だが、また複雑な組織が故に7人が集まる可能性がゼロではない事が、皮肉なものだなと思った。救われているのか救われていないのかがよく分からない(笑)